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シャンママとはなこっちの育児日記


by shandy3
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お別れの日~

お別れの日、それはどんなに心の準備をしても、ある日突然やってくるような気がします。
最後の夜のミミ~
階段の前にチョコンとお座りをしている姿~
何時までも忘れられない・・・・・・

その日の晩は少し暖かく、翌日の天気予報も気温は20度前後と北海道の5月中旬としては、恵まれた天気となりそうです~
ミミはいつもの様に私の布団の隣に敷いた小さな布団の上で眠ります。
私は、電気を消し布団の中から手を伸ばし、ミミを撫でながら、
「ミミ、ミミ」と小声で名前を呼びます~
そして、心の中でミミと毎晩色々なお話をします~
「ミミ、ミミ」名前を呼ぶたび、温かなぬくもりが今日も感じられることに感謝し、病魔が暴れ出した今、何が一番良いことなのか・・・・
ミミとの時間は、ミミが病魔との闘い・・・
苦痛との戦いの中で成り立っているのです。
自力でご飯を食べ、また、食べようとしている時はミミの生きたい~
その心を感じることが出来ました。
私も出来うる限りの努力をおしみませんでした。

でも、今は違います・・・・
ミミは、相変わらず可愛いミミなのですが、最後の時がまもなく近いことを私に告げているようにも見えました・・・
そして、5月23日の早朝5時過ぎ~
「クゥ~ン、クゥ~ン」ミミの苦しそうな、啼く声で目を覚ましました。
布団の上で伸び上がるように体を伸ばし、啼いています。
苦しがっているのです。
今までミミは苦しいこともあっただろうに、こんな声を出したことはありませんでした。
本当に苦しそうです・・・・
私はミミを抱き寄せ、撫でながら最後の決意を決めました。
最後の決意・・・・それは
「安楽死・・・・」
ミミが今までがんばってくれたのは、ミミの気の強さと根性も有りますが、私達家族が心配で安心して逝けなかったからだと思います。
ここ数日のミミと私の心の中の会話で何度もミミと話し合いました。
でも、何時も私がミミにお願いしていたのです。
「ミミ、ミミ、苦しいのにごめんね。」
「もう少しがんばって!もう少ししたら、みんなきっとお別れの心準備ができるから~」
「ミミ、ミミごめんね・・・・」
でも、もうその時が来たのです。
家族の誰も決断をすることは出来ないでしょう~
母を除いて誰もミミの現状が分かっていないからです~
いえ・・・・分かっていても心が・・・心が分かってくれないのです。
ミミが逝けば、父の嘆きは深いでしょう~
ミミが病気になったことですら、未だ認めることが出来ないのでいるのですから・・・
でも、もうお別れをしなくていけないのです。
薬を使い、栄養点滴をして数日・・・いえ数ヶ月、がんばることができるかもしれません。
でも、それはミミにとって最善のことでしょうか?
決意はしても、まだ決断を下すことはできません~
もう少し、ゆっくり考えて病院の先生に相談して・・・
起きるまで・・・まだ少し時間があります~
私はミミの背中を擦りながら目を閉じました。

ふと、目を覚ますと時計は朝の7時になっていました。
隣に眠るミミを見ると・・・・・
そう~ミミは旅立ったのです。
5月23日の早朝でした。
私の心の中の決意を悟るかのように・・・
ミミは逝ってしまいました。
1999年5月23日~11歳と3ケ月でした。
その日は青空とそよぐ風が気持ちの良いステキな日でした。

私は、まだ生きているかのように温かいミミの体を抱き寄せ、通院に使っていた籠に寝かせました。
その日の夕方ミミは家族とお別れを済ませ、ミミは我が家にある桜の木の下で永遠の眠りにつきました。
ありのままに自然に帰るように~
私の願いで自然に帰るものだけミミと一緒にいれました~
あれから6年~
このお話の最後を待っていたかのように、桜が咲いています。
何時もの年より2週間遅れの桜の花が~咲いています
お別れの日~_c0038983_2315037.jpg

by shandy3 | 2005-05-23 23:17